2011年12月16日発行 Vol.16冬号
 

 

丸川さんからのメッセージ 

今回は、教育について書こうと思っていたのですが、私が支援している陸上競技(長距離)の話になりました。というのも、実は、世羅高校を卒業し、現在S&Bに在籍するカロキ選手を、メルボルンのZatopek10大会で走らせるアレンジをしたところ、大会Organizerを通して、何故ケニアの選手が日本の高校を卒業し、日本の実業団で走っているのか、という質問を受けました。それを英作文してメールしたのですが、その日本語訳を、今回の「手紙」にすることにしました。 


◎その質問の回答
「なぜ日本にはたくさんのケニア人ランナーがいるの?」と不思議に思われる方は、最初に、日本の『駅伝熱』について理解しなければいけないでしょう。全国放送されるこれらの駅伝大会には、全国高校駅伝、全国大学駅伝(箱根駅伝)、全国実業団駅伝などがあります。もちろん、視聴率はいつも高く、特に実業団に強い駅伝部があれば、それ自体が会社の宣伝広告になります。ですから多くの実業団は、陸上競技部に力を注いでいるのです。テレビを見ればわかりますが、先頭集団で走っていれば、カメラはずっーとトップランナーを映し出していますので、宣伝効果はとても高いといえます。コマーシャルを1本作るよりも、ずっと安く、会社の宣伝ができるわけです。ケニア人もしくはエチオピア人ランナーを招けば、簡単に陸上部を強くすることができるので、実業団の間ではこのやり方は主流になっています。大学駅伝と同じく、全国高校駅伝も、とても人気があります。特に私立の場合、子供の人口が減っているなか、学校存続の生命をかけて、駅伝で高校の名前を宣伝し、生徒を獲得する、ということが必要になっています。

 

日本の実業団のために走った最初のケニア人ランナーは、ダグラス・ワキウリです。ワキウリは、ご存知のとおり、1987年のローマで行われた世界大会のマラソンで優勝、ソウルオリンピックでは、銀メダルを獲得しました。このワキウリを雇った実業団は、日本の偉大なマラソン・ランナーである、瀬古氏が働いている会社です。当時、ワキウリが日本の実業団に雇われたのは異例のことでしたが、1990年代から徐々に、ケニア人ランナーが日本の高校、大学、実業団に招聘され、活躍するようになりました。

 

実業団は、ケニアから直接ランナーを招聘することもできますが、日本の高校を卒業したケニア人を採用するほうが好まれています。日本語が話せますし、高校在学中にランナーの走り見て彼らの質を確認済みだからです。ケニア人ランナーが高校でよい走りをすれば、日本の実業団に就職でき、いいお給料がもらえることになります。お給料の額は、ケニア人ランナーがケニアにいた頃には想像つかなかった金額です。陸上のさかんなニャフルルでは、男の子も女の子も、日本の高校に行くことが、将来有名で稼げるランナーになるための希望の道筋です。近年では、仙台育英高校を卒業、九州トヨタに就職し、のちに北京オリンピックのマラソン金メダルを獲得した、サミュエル・ワンジルが、身近なよい例です。

 

 2000年ごろから、陸上競技がさかんなニャフルルなど、ケニア国内では陸上部がブームになりました。これは陸上競技の商業化のせいです。

 

ビダン・カロキは1990年にサミュエル・ワンジルと同様、ニャフルルの近くで生まれました。カロキは、小学校在学中の2002年ごろに“MFAE Athletic Club”に入部しています。この陸上部は、私がフランシス・カマウ監督と一緒にチャリティー目的で設立、組織し、私が資金援助をした結果、ケニアの陸上界で最強の陸上部になりました。2005年までにこの陸上部は、世界ジュニア選手権、世界ユース選手権、アフリカ・ジュニア選手権、世界クロスカントリー選手権で多くのメダルを獲得しています。メダルを獲得したランナーをとおして、世界選手権やオリンピックのケニア選考会に来ていた、日本の実業団陸上部監督たちの間でも、このクラブはとても有名になりました。カロキは2007年に、広島県立世羅高校に招聘されました。世羅高校の歴史は長く、駅伝が強いことでも有名でした。この高校の駅伝チームを強化するために、寄付を募り、そのお金を奨学金として、ケニア人ランナーを招聘しました。カロキは世羅高校在学中、駅伝部を全国高校駅伝大会で優勝に導きました。彼の走りは、ワキウリがかつて走っていた実業団の陸上部に好印象を与え、そして、カロキを採用することを決めました。ダグラス・ワキウリ以来、はじめての外国人選手採用です。この会社でも、カロキは力を伸ばし、2011年カリフォルニアで行われたCardinal Invitationでは、10000m、27分13秒という好成績を記録しました。そして、韓国デグの世界大会にむけたケニア選考会では、24周目で棄権したものの、先頭集団を引っ張るという好レースをし、ケニアの陸上部総監督の目にとまりました。2011年9月のアフリカ大会(日本でいうアジア大会)のケニア代表に選ばれ、モザンビークで銀メダルを獲得しました。彼は、デグの世界大会で優勝したエチオピアのイブラヒム・ジェイランに最後の直線で抜かれたものの、2位に入賞しました。  

 

「カロキをロンドン・オリンピックに行かせ、金メダルを獲る」というのが、カマウ監督と私の直近の夢です。

 

ここで皆様に強調しておきたいのは、私が育てたランナーだけでなく、すべてのケニア人ランナーは、半乾燥地帯の地方出身で、貧しい家庭環境で育った子たちだということです。ほとんどのランナーの母親は、ランナーがレースの賞金で持ち帰った現金を受け取るまでは、1000シリング紙幣(ケニアの最高額紙幣。1000円ほど)を所有したことすらないほど貧しく、また、ランナー自身も「1日何も食べられず、空腹のまま寝た」ことが何度もあり、つらい経験をしてきています。そのランナーが、例えば年に500万円を稼ぐようになるというのは、非常に衝撃的なことです。ナイロビから数百キロ離れた田舎で、10歳から15歳くらいの子が、近所の20歳そこそこの、日本の実業団で走るお兄さんが、新しい日本車に乗って田舎に帰ってくるのを目撃する、という情景を想像してみてください。その子は絶対に、「僕もああなりたい。僕にもできるはず!」と思うに違いありません。これが、ニャフルルのような小さな地域で、陸上選手がたくさん輩出される理由のひとつです。

 

◎日本の読者のみなさまへのつけたし
駅伝に限らずに、実業団がスポーツに力を入れる他の理由は、「愛社精神を高める」などというのがあるのですが、これはあまりに日本的で、とても短い文章でオーストラリア人に説明するのは無理と、省略してしまいました。この年末から年始にかけて、高校駅伝、実業団駅伝とありますが、世羅高校のスーザンさんとディラング君は、うちの選手です。またNTNのワウェル選手もうちのクラブ出身です。カロキ選手は、S&Bが駅伝に参戦していないので走りませんが、応援してやってください。

 

ちなみにメルボルン・Zatopek10の10,000mでは、カロキ選手は他のケニア人選手に続き、2位でした。

 

公立小学校寄付と奨学生について
私たちの紅茶の茶葉収穫地域には19校の公立小学校があり、その小学校を対象に寄付を行っています。19校への寄付の2周目が終わったところです。来年からは3周目が始まります。その間、校長先生が同じ地域の違う学校に異動になっていたりもして、「こないだは、違う小学校にいらっしゃいましたよね?」なんていう会話もあります。もちろん異動のない校長先生は、「前回の寄付はこちらに使いました」などと、学校の修繕箇所を案内してくれたりします。  下の写真は、今年10月3日、茶葉収穫地域にある公立小学校への寄付(1日に3校回りました)を行ったときに撮った写真です。
  
奨学金プログラムのほうですが、現在、第二回の奨学生を募集しています。12月末に発表されるKCPE(小学校の卒業資格試験、全国一斉テスト)の結果をチェックしたあと、6名程とろうと思っています。選考後は、今年はじめの5名とあわせて、11名に奨学金が支給されることになります。

 

今年2度目の残留農薬検査をしました
今年の4月に行っていますが、10月おわりにも「残留農薬検査」を実施いたしました。検査結果はもちろん全て「検出せず」でしたので、安心して紅茶をお飲みいただけます。コピーが必要な方は、お知らせください。個別に送らせていただきます。

 

編集室より
ようやく小雨期が終わったようです。たっぷり雨が降り、お百姓さんたちには恵の雨だったようです。ただ、私のようなナイロビアン(ナイロビ住民)にとっては、パニック、交通渋滞、道路の穴ぼこをもらたらした雨期でした。(ひさこ)