見えないものはない?!

こんにちは、ひさこです。今回はケニアの路上の経験から感じたことを少しだけ書きます。

 

乗り物に乗っていても、歩いていても「ケニアの道路は危ない」と、いつも思います。

 

ゲーム感覚で追い越しをしているようにしか見えないハンドル操作や、方向指示器を使わない車線変更や無駄な車線変更、追い越しできない箇所での追い越し、スピードの出しすぎなどなど…数えたらきりがありません。長距離の移動は特にヒヤヒヤします。向うが見えないカーブで減速をしない運転手も多く、まるで「見えないものはない」という感覚で走っているようです。日本の教習所では「見えないところからの飛び出しに注意」と、見えないものを予測することを教わりますから、ケニア人の運転を見て「見えないところから出てくるかもと、なぜ予測しないのか」と思ってしまいます。

 

ずいぶん前のことですが、東京のとあるT字路で一時停止をきちんとせず、右から来た車にぶつかったケニア人の知り合いが「見えなかったから前進した。T字路にミラーがないのが悪い!」と言いました。ふつうなら、左右が確認できるところまで低速進むのが筋ですが、この方は「見えないものはない→進んでよし」という思考回路だったのでしょう。たしかに「ミラーがある→見えないところが見える」ですが…。

 

ナイロビで、チャリティーで行われるランニングイベントに参加したことがあります。参加料を払うとTシャツがもらえるのですが、そこには「Seeing is Believing(=見ることは信じること)」というテーマがプリントされていたのを思い出しました(日本語のことわざにあてはめると「百聞は一見にしかず」のようですが)。チャリティーなので、眼科系の病院に寄付がいくということで、このテーマが印刷されていたのだと思いますが、「見えないものはない」のメンタリティーを表しているようで、なんだかおかしくなりました。ケニアの教習所でも、見えないものについての教習があれば、もう少し安全な運転ができるようになってくれるんではないかと思います。